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東岸には木材やまきが高く積まれ、西岸には蔵が建ちならんでいます。 たくさんの荷物を積んだ車や、ぼうに荷物をつるして運んでいる人もいます。。
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堀川は名古屋へのおもな輸送路なので、さまざまな物が船で運ばれました。 米や塩、まきや炭、肥料、みそ、しょう油、木材などは重くてかさばるので、船を川岸の蔵(くら)につけて、そのまま運びこめる堀川ぞいの場所が便利でした。
● 塩
塩町(西区)は塩問屋が多く、星崎(ほしざき 南区)や鳴海(なるみ 緑区)、知多半島や三河(愛知県東部)で作られた塩が運ばれてきました。
● 木材
上材木町、下材木町、元材木町(中区)は木材商が多く、白鳥貯木場の余った木材を藩(はん)からはらいさげてもらい売買をしていました。
● 肥料
肥料は作物をたくさんとるのに必要です。新田開発などで田畑も増えてきたので、重要な商品でした。ほしたイワシや菜種かすなどが肥料に使われ、関東地方からも運ばれてきました。名古屋の肥料問屋はほとんど堀川ぞいにありました。
● 米
米の問屋は、大船町(西区)や納屋町(なやちょう 中村区)に多く、大船町には米の売買をする「延米会所(のべまいかいしょ)」もありました。
このように、堀川ぞいは生活に欠かせないものを売買する商人がたくさん住み、豊かで活気があふれる町でした。
(CD 堀川ミュージアムより)
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